出来事
好きだからこそ頑張れる ~社会人から学ぶ会 2年生~
講師を務めていただいたのは日本旅行東北福島支店で営業を担当している菅沼李枝子さんです。
高校2年生の時の職場体験で,お祭りやイベントを開催するお手伝いをしたことが観光業に携わるきっかけとなったこと,辛い時もあるけれど,人とコミュニケーションを取ること・喜んでいるお客様の姿を見ることが好きなので頑張れること,社会人になって,中学生の時には思いもしなかった髪型や服装など「身だしなみ」の大切さに気が付いたことなど,自分の経験や感想を交えながら,分かりやすい言葉で,語りかけるように話をしていただきました。入社して4年目,生徒とは年齢が近いこともあり,より心に響いたのではないでしょうか。
2年生は,8月27,28日の2日間,職場体験活動を予定しています。働くことの楽しさと厳しさをたくさん体験してきてほしいと思います。
輪島選手の「休む勇気」~陸上部県大会,吹奏楽部県北大会壮行会~
休む勇気
今日は「休む勇気」というお話しをします。今から40年ほど前のお話です。
輪島功一というボクシングの世界チャンピオンが,7度目の防衛戦を間近に控えていました。対戦相手は格下で,マスコミは輪島選手のKO防衛を予想していました。試合10日ほど前の公開練習でも,絶好調。誰もがチャンピオンの防衛を疑いませんでした。
しかし,試合は輪島選手の最終回KO負け。チャンピオンベルトは挑戦者の手に渡りました。この日,輪島選手は1ラウンドから身体の切れがなく,不用意な挑戦者のパンチを浴び続けました。チャンピオンとしてのプライドで戦い続けましたが,最終回,挑戦者の猛攻でスローモーションのようにマットに崩れ落ちました。10日前には絶好調を伝えられた輪島選手はなぜ,格下の選手に負けてしまったのでしょうか。原因は,「オーバーワーク」つまり練習のし過ぎでした。日本中に楽勝ムードが漂う中,輪島選手ひとりだけが「油断してはいけない。」「いい試合を見せたい。」「絶対に負けられない」という思いを日々強くしていき,本来ならば練習量を落として体力を温存しなければならない時期に,厳しい練習を続けました。練習すればするほど不安な気持ちが増し,練習量を落とせなかったそうです。
陸上部,吹奏楽部,剣道部の皆さん。大会まで残された日々はあとわずかです。これから連日ハードな練習や長時間の練習をしても劇的な記録の向上や技能の向上は望めません。逆効果となる場合もあります。練習の量より質の向上を図りなさい。「跳ぶ,投げる,走る本数を減らし,一本一本の試技を大切にする。」「練習の終了時刻を定めて,その時間までに目標を達成するようにする。」「時には練習を休み,リフレッシュする時間を取る」等,「休む勇気」を持ってほしいと思います。そして大会やコンクール当日,心身ともに充実したコンディションで競技にそして演奏に臨んで下さい。絶対に上位大会への出場権を獲得するんだという強い気持ちをもって。
さて,試合に負けた輪島選手はその後どうしたのでしょうか。深いダメージを負い,試合直後に入院し,医者からは引退を勧められました。しかし,輪島選手は,再起を決意し7ヶ月後,リターンマッチのリングに戻ってきました。結果は判定勝ちで見事チャンピオンに返り咲きました。この時輪島選手が取り入れたトレーニングは,現在「インターバルトレーニング」と呼ばれています。適度に休養を取りながら続ける練習方法です。試合後のインタビューで輪島選手が強調したのが「休む勇気」の大切さでした。
チャレンジ精神に拍手! ~英語弁論大会出場者オーディション~
「オーディションを受ける生徒は集まるのだろうか?」この選考方式を聞いた私の正直な感想でした。しかしこの心配は杞憂に終わりました。私の予想を遥かに上回る1~3年生まで合計11名がオーディションに参加してきました。本校英語科の5名の先生が審査にあたりました。参加した生徒は,暗唱の部2名,創作の部2名,合計4名の代表の座を目指し,予め渡されていた英文を審査員の前で朗読しました。審査基準は「声の大きさ」「表現力」「発音」です。緊張感漂う雰囲気の中,できる限り表情を豊かに発表しようとする生徒達の姿が印象的でした。素人の私には,どの発表も優劣が付けづらいほどすばらしい出来ばえに思えました。
全員の発表が終えた後,英語科主任の仲江川先生からは「皆さんのチャレンジ精神に拍手を送ります。発表の内容も,一生懸命に練習してきた努力の跡が伝わりました。」 David先生からは「全員を代表に選びたいほどすばらしい発表でした。」というコメントが伝えられました。
審査員による厳正な審査の結果,2年性2名,3年生2名が代表に選出されました。選ばれた皆さんは,出場を果たせなかった7名の思いも胸に,これからの練習に努めてほしいと思います。
目指せ県大会!
誘惑に負けない規範意識の高い大人に~薬物乱用防止教室 3年生~
DVDとパワーポイントを用いての講話では,一般の薬(風邪薬,鎮痛剤など)の使用法や使用回数を守らないことも乱用になるということ,福島県内においても危険ドラッグを含む薬物乱用による事件・事故が起きていること,また薬物乱用による身体への影響などをわかりやすく話していただきました。
来春,高校へ進学し,将来は社会人となり活動範囲や交友関係を広げていく3年生達は,真剣に話を聞いていました。自分の健康を自分で守れる,誘惑に負けない,規範意識の高い社会人に成長してくれることを願っています。
大玉中学校40年の歩み Episode2 生徒数の推移,ピークは平成3年度
平成3年度(417人)をピークに生徒数は徐々に減少してきていますが,安達地区や福島県の他の市町村と比べると減少率はかなり抑えられています。村当局には引き続き定住化政策を推進していただき,学年3クラスの活気ある中学校として存続していきたいものだと願っております。
進路選択意識の向上を図る ~高校説明会 2・3年生~
当日,体育館での説明会は蒸し暑く過酷な条件でしたが,その中でも元気にあいさつをし,集中して説明を聞く大玉中生徒の態度に高校の先生からお褒めの言葉をいただきました。今回の説明会を経て中学2,3年生がそれぞれに進路選択に対する意識を高めてくれることと期待しています。
大玉中学校40年の歩み Episode1 校歌の制定(1976年) その2
「藪田先生(校歌の作詞者)は,初秋の頃,作詞のイメージを求め大玉村においでになりました。安達太良山をバックにした新校舎をながめられてから県民の森より大玉の郷土をのぞみ,ひろびろと豊かな地域ですね,とささやかれました。」
この記述から,校歌一番の歌詞には,県民の森から見下ろした,実り豊かな黄金色の田園風景が,三番の歌詞には,今の校庭から見上げた安達太良山とその背景に広がる澄み切った秋の青空が見事に表現されていることを知ることができました。
昭和を代表する二人の芸術家の手により生み出された大玉中学校の校歌。これからも,本村の美しい四季の情景を思い浮かべながら,心を込めて歌い継いでいきたいものです。
昭和51年度(1977年) 創立当初の大玉中学校
貴重な情報を提供いただきました ~民生児童委員学校訪問~
学校からは,生徒の学校生活の様子をお知らせすると共に,地域や行政からのバックアップを必要とする事例を報告させていただきました。出席者からは,学校以外の場でのあいさつや公共施設での整理整頓など,中学生の社会生活における課題や地域が抱える問題点などをご指摘いただきました。今後もお互いの情報交換を密にし,子どもたちの健全育成のため協力していくことを確認して散会となりました。
大玉中学校40年の歩み Episode1 校歌の制定(1976年) その1
創立40周年に当たり,校長として何か残せることはないかと考え,校長室に保管されている「学校沿革誌」や「学校要覧」,「20周年・30周年の記念誌」,「卒業アルバム」などの資料や聞き取り調査をもとに,40年の歩みをいくつかのテーマに分けて整理し,学校だよりで紹介しようと考えました。なお,お読みいただいた際,事実の異なる記載や更に詳細な情報などがございましたら,学校の方へお寄せいただければ幸いです。Episode(エピソード)1は「校歌の制定」です。
創立20周年記念誌のなかで,初代校長の桑原光男先生は,校歌制定の経緯について次のように記しています。
「私は昭和50年4月,大玉中学校に着任致しました。校舎は建築中であり,生徒は旧校舎でそれぞれ学習しておりました。その年の6月修学旅行に同道したときのことです。バスガイドがあいさつの後,さあみなさん元気よく校歌を歌って参りましょうと音頭をとった。ところが「校歌ないもん」という生徒のつぶやきがあった。しかしバスガイドはその意味を理解できないで,キョトンとしてしまった。それで,帰校後直ちに校旗と校歌の制定に取り組みました。…」(原文のまま)
作詞,作曲者のプロフィールをまとめました。
【作詞者】藪田 義雄(1902-1984) 大正・昭和期の詩人 「沙羅」主宰。
神奈川県小田原市出身,法政大学英文科卒。大正7年より北原白秋門下となり,晩
年の白秋の秘書をつとめ,また日本音楽著作権協会理事,詩と音楽の会副会長もつとめた。詩集に「白沙の駅」「岸花」「水上を恋ふる歌」「散華頌」「藪田義雄全詩集」,
著書に「評伝・北原白秋」「わらべ唄考」「夏鶯」などがある。他,民謡集,歌劇・合唱曲など多数。
【作曲者】
岡本 敏明(1907-1977) 昭和期の作曲家 国立音楽大学名誉教授
宮崎県宮崎市出身,東京高等音楽学校(現・国立音楽大学)卒。玉川学園,成城小学校,東京高等音楽校(現・国立音楽大学)で教鞭をとり,昭和15年から5年間,日本放送合唱団で合唱を指揮した。戦後は文部省図書編集委員となり小,中,高校の音楽教科書,学習指導要領の編集に当たり,毎日学生コンクール合唱部門審査員も務めた。またこの間,25年から国立音楽大学で教え,50年同大名誉教授に推された。「どじょっこ,ふなっこ」「テデウム」などの作品があり,著書に「実践的音楽教育論」「合唱のよろこび」など。
「大人のあいさつ運動」実施 ~更生保護女性会の皆さんと~
福島県安達郡大玉村
玉井字的場93番地
TEL(0243)48-3300
FAX(0243)48-2909