大玉中学校日記

大玉中学校40年の歩み Episode1 校歌の制定(1976年) その1

 創立40周年に当たり,校長として何か残せることはないかと考え,校長室に保管されている「学校沿革誌」や「学校要覧」,「20周年・30周年の記念誌」,「卒業アルバム」などの資料や聞き取り調査をもとに,40年の歩みをいくつかのテーマに分けて整理し,学校だよりで紹介しようと考えました。なお,お読みいただいた際,事実の異なる記載や更に詳細な情報などがございましたら,学校の方へお寄せいただければ幸いです。Episode(エピソード)1は「校歌の制定」です。
 
 創立20周年記念誌のなかで,初代校長の桑原光男先生は,校歌制定の経緯について次のように記しています。
 「私は昭和50年4月,大玉中学校に着任致しました。校舎は建築中であり,生徒は旧校舎でそれぞれ学習しておりました。その年の6月修学旅行に同道したときのことです。バスガイドがあいさつの後,さあみなさん元気よく校歌を歌って参りましょうと音頭をとった。ところが「校歌ないもん」という生徒のつぶやきがあった。しかしバスガイドはその意味を理解できないで,キョトンとしてしまった。それで,帰校後直ちに校旗と校歌の制定に取り組みました。…」(原文のまま)

  作詞,作曲者のプロフィールをまとめました。

【作詞者】藪田 義雄(1902-1984) 大正・昭和期の詩人 「沙羅」主宰。
 神奈川県小田原市出身,法政大学英文科卒。大正7年より北原白秋門下となり,晩
年の白秋の秘書をつとめ,また日本音楽著作権協会理事,詩と音楽の会副会長もつとめた。詩集に「白沙の駅」「岸花」「水上を恋ふる歌」「散華頌」「藪田義雄全詩集」,
著書に「評伝・北原白秋」「わらべ唄考」「夏鶯」などがある。他,民謡集,歌劇・合唱曲など多数。

【作曲者】
 岡本 敏明(1907-1977)  昭和期の作曲家 国立音楽大学名誉教授
 宮崎県宮崎市出身,東京高等音楽学校(現・国立音楽大学)卒。玉川学園,成城小学校,東京高等音楽校(現・国立音楽大学)で教鞭をとり,昭和15年から5年間,日本放送合唱団で合唱を指揮した。戦後は文部省図書編集委員となり小,中,高校の音楽教科書,学習指導要領の編集に当たり,毎日学生コンクール合唱部門審査員も務めた。またこの間,25年から国立音楽大学で教え,50年同大名誉教授に推された。「どじょっこ,ふなっこ」「テデウム」などの作品があり,著書に「実践的音楽教育論」「合唱のよろこび」など。