下のグラフは,大玉中学校40年間の生徒数の推移を示した折れ線グラフです。本校は,創立2年目の昭和51年,現在の校舎に移転し,全校生397名でスタートしました。翌年から徐々に生徒数は減少し,開校7年目の昭和56年度には291名と300名を割り込みます。しかし,その後徐々に生徒数が増加します。特に昭和58年度から昭和62年度までの4年間で生徒数が一気に110名も増加しています。「図説大玉村の歴史」には,この要因が次のように記されています。「会津地方や阿武隈山系の町村に見られる過疎現象が生じなかったのは,中通り地区の中心部に村が位置していたこと。さらにこの間に村独自のさまざまな施策が行われたことによります。とくに,母子健康センター設置(40年),玉井・大山幼稚園開園(47年),国民保養センターオープン,乳幼児医療費助成(48年),スクールバス運行開始(53年),保健センター完成(62年)など福祉・教育・住環境の整備なども人口減を食い止める要因でした。」
平成3年度(417人)をピークに生徒数は徐々に減少してきていますが,安達地区や福島県の他の市町村と比べると減少率はかなり抑えられています。村当局には引き続き定住化政策を推進していただき,学年3クラスの活気ある中学校として存続していきたいものだと願っております。
6月25日(木)8時45分から体育館において「高校説明会」が行われました。午前中行われた8校は3年生と保護者の参加で,午後の5校には2年生も加わりました。約40名ほどの保護者の方が参加しました。南は郡山市,北は福島市と広範囲から私立・県立合わせての13校の先生方が来校され,各高校の様子について説明をしていただきました。それぞれの高校の授業内容や学校生活の様子,卒業後の進路などが具体的にイメージでき,進路選択をする上での判断材料となる貴重なお話でした。
当日,体育館での説明会は蒸し暑く過酷な条件でしたが,その中でも元気にあいさつをし,集中して説明を聞く大玉中生徒の態度に高校の先生からお褒めの言葉をいただきました。今回の説明会を経て中学2,3年生がそれぞれに進路選択に対する意識を高めてくれることと期待しています。
さらに,桑原先生は記念誌の中にこう記しています。
「藪田先生(校歌の作詞者)は,初秋の頃,作詞のイメージを求め大玉村においでになりました。安達太良山をバックにした新校舎をながめられてから県民の森より大玉の郷土をのぞみ,ひろびろと豊かな地域ですね,とささやかれました。」
この記述から,校歌一番の歌詞には,県民の森から見下ろした,実り豊かな黄金色の田園風景が,三番の歌詞には,今の校庭から見上げた安達太良山とその背景に広がる澄み切った秋の青空が見事に表現されていることを知ることができました。
昭和を代表する二人の芸術家の手により生み出された大玉中学校の校歌。これからも,本村の美しい四季の情景を思い浮かべながら,心を込めて歌い継いでいきたいものです。
昭和51年度(1977年) 創立当初の大玉中学校
22日,大玉村民生児童委員の学校訪問があり,来校された皆様方から,貴重なご意見を頂戴しました。
学校からは,生徒の学校生活の様子をお知らせすると共に,地域や行政からのバックアップを必要とする事例を報告させていただきました。出席者からは,学校以外の場でのあいさつや公共施設での整理整頓など,中学生の社会生活における課題や地域が抱える問題点などをご指摘いただきました。今後もお互いの情報交換を密にし,子どもたちの健全育成のため協力していくことを確認して散会となりました。
創立40周年に当たり,校長として何か残せることはないかと考え,校長室に保管されている「学校沿革誌」や「学校要覧」,「20周年・30周年の記念誌」,「卒業アルバム」などの資料や聞き取り調査をもとに,40年の歩みをいくつかのテーマに分けて整理し,学校だよりで紹介しようと考えました。なお,お読みいただいた際,事実の異なる記載や更に詳細な情報などがございましたら,学校の方へお寄せいただければ幸いです。Episode(エピソード)1は「校歌の制定」です。
創立20周年記念誌のなかで,初代校長の桑原光男先生は,校歌制定の経緯について次のように記しています。
「私は昭和50年4月,大玉中学校に着任致しました。校舎は建築中であり,生徒は旧校舎でそれぞれ学習しておりました。その年の6月修学旅行に同道したときのことです。バスガイドがあいさつの後,さあみなさん元気よく校歌を歌って参りましょうと音頭をとった。ところが「校歌ないもん」という生徒のつぶやきがあった。しかしバスガイドはその意味を理解できないで,キョトンとしてしまった。それで,帰校後直ちに校旗と校歌の制定に取り組みました。…」(原文のまま)
作詞,作曲者のプロフィールをまとめました。
【作詞者】藪田 義雄(1902-1984) 大正・昭和期の詩人 「沙羅」主宰。
神奈川県小田原市出身,法政大学英文科卒。大正7年より北原白秋門下となり,晩
年の白秋の秘書をつとめ,また日本音楽著作権協会理事,詩と音楽の会副会長もつとめた。詩集に「白沙の駅」「岸花」「水上を恋ふる歌」「散華頌」「藪田義雄全詩集」,
著書に「評伝・北原白秋」「わらべ唄考」「夏鶯」などがある。他,民謡集,歌劇・合唱曲など多数。
【作曲者】
岡本 敏明(1907-1977) 昭和期の作曲家 国立音楽大学名誉教授
宮崎県宮崎市出身,東京高等音楽学校(現・国立音楽大学)卒。玉川学園,成城小学校,東京高等音楽校(現・国立音楽大学)で教鞭をとり,昭和15年から5年間,日本放送合唱団で合唱を指揮した。戦後は文部省図書編集委員となり小,中,高校の音楽教科書,学習指導要領の編集に当たり,毎日学生コンクール合唱部門審査員も務めた。またこの間,25年から国立音楽大学で教え,50年同大名誉教授に推された。「どじょっこ,ふなっこ」「テデウム」などの作品があり,著書に「実践的音楽教育論」「合唱のよろこび」など。
6月22日登校時,本宮方部更生保護女性会の皆さんの「あいさつ運動」に合わせ本校教職員による,「大人のあいさつ運動」を行いました。この日は期末テストで,生徒会役員や委員会によるあいさつ運動がありません。第41号でお知らせした,生徒会長からのメッセージ「私たち中学生のあいさつを通して,この大玉村全体をあいさつ日本一にしたいと考えています。…子どもたちから大人へ,あいさつの気持ちよさ,大切さを伝えていけるように頑張っていきましょう。」を受け,大人も負けてはいられないという気持ちから実施しました。これからも,定期テストの折に実施したいと考えます。
19日,おおたま学園の可愛い後輩達(玉井小の2年生)が,本校を訪問し,校舎内を探検しました。
小さな隊員達は,本校の佐藤教頭先生を隊長として授業中の各教室や体育館,武道館などを訪れ,「中学校の秘密」に触れました。探検を終えた一行は校長室で質問タイムです。
「何教科勉強するのですか?」「生徒は何人いるのですか?」「トロフィーはいくつあるのですか?」
教頭先生が答えに窮する質問もありました。5年後の入学をお待ちしております。
6月9日(火),屋内運動場改築工事の安全祈願祭が行われました。人工芝が張られた新しい屋内運動場は,来年4月から供用が開始される予定です。冬場やグランドコンディションが悪いときの部活動の練習場所として最大限に活用させていただければと考えます。
※ 6月11日(木)福島民報に掲載