日誌

鉛筆 小中学生広島平和記念式典派遣事業「報告発表」

 9月22日(金)午後6時30分より、大玉村長様をはじめ多くのご来賓の皆様をお迎えして、小中学生広島平和記念式典派遣事業「報告発表」が行われました。
 世界で二つしかない被爆地、広島に行き、平和であることがどれだけ幸せかということ、普段何気なく過ごしているこの日々が本当に幸せだという実感をもったことなど、どの児童・生徒さんもたいへん立派な報告をすることができました。全員の発表後、おおたま学園長・鈴木豊大玉中校長先生から講評が行われました。

  


「未来へ伝え続けること」 (大玉中・武田彩香)

(1)広島記念式典

 式典には外国人の方がたくさん参加していました。核兵器の被害を受けた日本人だけでなく、外国の方々も核兵器の恐ろしさについて考えているのだと感じました。私は、「平和への誓い」のある言葉がとても印象的でした。それは、『未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。』という言葉です。戦争をこれから二度と起こさないために、戦争・核兵器の恐ろしさを未来の人に伝えていかなければならないと思いました。

(2)平和祈念資料館

 資料館の中には、核兵器の被害を受けた学生服や日用品、火傷をした人の写真、佐々木禎子さんが折った折り鶴など核兵器の恐ろしさが伝わってくるものがたくさん展示されていました。私は見るのが辛くなるような写真を見て、二度と写真に写っているようなことが起きてはいけないと改めて思いました。

(3)被曝体験講話

 被曝体験講話では、実際に被曝された方が一人でも多くの人に核兵器の恐ろしさを伝えたいという思いで話してくださいました。核兵器が投下されたのは、昭和20年8月6日午前8時15分です。その日は平日だったので、学生はみんな登校しています。小学校では早く学校に来て、校庭で遊んでいた子供もいたそうです。その近くに核兵器爆弾が投下されました。校庭で遊んでいた子供たちはみんな即死してしまったそうです。

 また、街は核兵器によって一面焼け野原になり、核兵器が落とされる前は建物で隠れて見えなかった瀬戸内海の近くの山などが見えるようになっていたと教えてくださいました。語り手さんは、「このような出来事があったことを一人一人が家族や友だちに伝えて、どんどん広がっていってほしい」と願っていました。

(4)研修を振り返って

 研修に参加して、『伝え続ける』ことが大切だと学ぶことができました。また、核兵器は尊い命や人間の人生を簡単に奪ってしまう恐ろしい道具だということを改めて知ることができました。広島派遣事業に参加できたことは、とても良い経験になりました。ありがとうございました。